氏綱系正統説は、いつ頃誕生したのか?

 

 氏綱系正統説の成立時期について

~史料その1 明智家譜~
 この書物は、明智光秀で有名な、明智一族の歴史について記したものである。
 成立年については本文の中で、『于時寛永八辛未六月十有三日 妙心寺塔頭六十五歳 玄琳 喜多村弥平兵衛殿』としている。この記述通りなら、寛永8年(1631年)の成立となる。
 その内容に『江州観音城責佐々木義郷』とあり、この書物が成立した時点で、すでに氏綱系正統説が存在していたことになる。
 この書物が寛永8年(1631年)成立ならば、佐々木氏郷はまだ10歳前後であり、『大系図評判遮中抄』及び通説の主張は、崩壊することになる。
 妙心寺の玄琳、そして喜多村弥平兵衛とは何者なのか?そしてこの書物は真に寛永8年(1631年)に成立したのか?解明が待たれるところである。

 ~史料その2 総見公武鑑~
 この書物は、織田信長軍の職員録とも言うべきものである。
 成立年について、一般的には、寛永11年(1634年)に浅井玄卜により編纂されたとする。
 その内容に『殊更に天下のことは京都将軍家、毛利家、江州佐々木家、御当家なり』という文言が登場する。
 通説では、佐々木六角氏は織田信長の上洛に対し、抵抗の姿勢を見せるも一蹴され、ささやかなゲリラ戦をするのが精一杯の雑魚、という見方をされている。
 しかし、本書が執筆された時点が、真に寛永11年(1634年)であるならば、すでに織田軍団の子孫にまで、氏綱系正統説が存在していた可能性があることになる。

~史料その3 美濃国諸旧記~
 この史料は、美濃の国の歴史について記した本である。著者・成立年共に不明なものである。しかし、一般的には、寛永時代の記述があるので、寛永の末から正保年間の成立であろう、とされる。すると1644年~1648年頃の成立となる。
 この成立年が正しいのであれば、『江源武鑑』より先行する、氏綱系正統説が存在したことになる。