第9章 氏郷70歳頃まで(1681年~1690年)

  第1節 氏郷の後継者と丸亀藩主京極家

 このようにして過ごしてきた氏郷であったが、年齢が60歳を超えてもまだ後継者に恵まれなかったようである。遂に彼は佐々木六角家断絶を危惧し始めたようだ。
 その時の様子を、丸亀藩主京極家に伝来する「六角佐々木氏系図略」の中に所収されている、「京極氏家臣某覚書抜萃」によって見てみよう。

東京大学史料編纂所所蔵
「六角佐々木氏系図略」
【請求記号】 2075-341


(東京大学史料編纂所所蔵 「六角佐々木氏系図略」)
 

 

続いて兵部殿からの礼状を見てみよう。

 
 これによると、兵部殿自身は「六角中務大輔」と名乗り、「江源明流」という印が捺していたという。続いて、「家宝七品」とは何であったのかについて見ていこう。
 先ほどの兵部殿と高豊とのやり取りを見ると、3年後に兵部殿が遠行されたとする。その時の事であろう話と共に、家宝七品の内訳が伝わっている。

 


  第2節 「京極氏家臣某覚書抜萃」の記述は史実か?

 次に上記説話の史実性について検証をしていく訳であるが、結論を先に申し上げると、下記の点により史実であると断言できるので、順次見ていこう。
 ①家宝七品が現存する事
 ②「江源明流」の印が実在した事
 ③京極家伝来品に、氏郷が使用した印が押されていた事
 ④京極家伝来品に、氏郷の筆跡で書かれた書物が存在する事
 家宝七品の現存に最初に気付かれたのは、磯部佳宗氏であった。同氏の論文を見てみよう。

中京大学文学会刊行
『中京大学文学会論叢』
第2巻 81頁
磯部佳宗 「伝六角氏郷著作の戦国武将評 : 浅井長政と蒲生賢秀」


 磯部氏の主張は以上の通りであるが、当研究室の調査によって、別の点からも氏郷旧蔵品である事が確認できた。これらの史料は、丸亀市立資料館に所蔵されているので、まずはご覧頂きたい。

(沙々貴神伝巻)


(沙々貴神伝七相之讖書)

 ところで、「沙々貴神伝巻」巻末部には、追記・署名・花押が見える。ここで思い出して頂きたい。元禄元年死亡伝説の検証の際に述べた通り、これは氏郷の筆跡なのである。この事でも、同史料が氏郷から伝来した事が分かる。また同時に、この頃の氏郷の花押を知る事が出来る。


  家宝七品の他の品について、磯部氏の論文を見てみよう。

 磯部氏の主張は以上であるが、当研究室の調査によって、別の点からも氏郷から伝来した事が確認できた。下記4史料の内、2史料の題名部分に押印が見えるので、注意してご覧頂きたい。

(犬追物絵図)


(佐々貴家犬追物本紀)



(佐々貴家犬追物古実巻)
(題名部分に押印有り)


(佐々貴家犬追物検見矢評議巻)
(題名部分に押印有り)


 ここでもう一度、京都歴史学歴彩館所蔵の氏郷直筆「沙々貴大系図」をご覧頂きたい。同じ印が使われ、完全に一致する事がお分かりいただけると思う。


(左:沙々貴大系図 右:各印影を並べた図)

 いかがだろうか? 「京極氏家臣覚書抜萃」の史実性に関しては、この様に複数の物的証拠が揃っているため、史実であると断言できるのである。

 

  第5節 「江源武鑑」と京極家伝来品

 ここまで見てきたところで、氏郷の家宝七品の内、「沙々貴神伝」関係1品、「犬追物」関係1品を見てきた事になる。続けて見ていこう。
 次の品は「錦の御旗」1品である。京極家伝来品であり「二尊旗」と称され、現在は丸亀市立資料館に所蔵されている。「江源武鑑」の前書にもその姿を見る事が出来るので、ご覧頂きたい。下記の問題点を孕んでいるが、これが「錦の御旗」と推定される。


(左:京極家旧蔵「二尊旗」 右:「江源武鑑」)

 さて、この「錦の御旗」こと、丸亀市立資料館所蔵「二尊旗」が孕む問題点について述べておきたい。まず2つの違いについて一覧にしてみよう。なお「二尊旗」に関する情報は、丸亀市立資料館発行のパンフレットに拠った。

丸亀市立資料館刊行
『丸亀市合併10周年記念 京極家の家宝展』

 

 二尊旗江源武鑑
 95㎝2尺8寸= 84.84㎝
長さ360㎝1丈2尺=363.6㎝
文字 正八幡大菩薩・佐々貴太社八幡大菩薩・佐々木大明神
宸翰後奈良天皇 (1497年~1557年)村上天皇 (926年~967年)

 上記の通り、両者で最も顕著な差異を示すのが、二尊の筆者である。この点について、同パンフレットでは同館所蔵の「佐々木京極系譜」を引用しているので、見てみよう。

「「佐々木京極系譜」によると、室町時代の京極家十七代当主高秀の系譜に「後奈良帝へ奉達これあり 宸筆の旗これ下賜申し候」と、「丸亀御城坪附記」に「後奈良院宸翰、往古旗破壊により、武蔵守高秀時代これ改める」と旗の由来が記されています。」

 後奈良天皇(1497年~1557年)は室町時代の、第105代天皇である。ところが「江源武鑑」ではそれより千年ほど昔の、第62代天皇である村上天皇の宸筆としている。
 旗の形式変化について、同パンフレットが分かりやすく説明しているので見てみよう。

「平安時代末期の源平の戦いの頃から、敵味方を区別し陣を示すものとして戦での旗の使用が普及しはじめました。当時は、上辺に木をとおして緒(紐)をつけて竿に吊り下げ、たなびかせる流旗でした。室町時代には、上辺と縦の一辺に乳をつけ、竿に通す幟旗が用いられるようになり、流旗に代わってこの形式が全国に普及していきました。」

 そして「二尊旗」をその形式から流旗としている。この事から、村上天皇の時代には、まだ流旗は存在していなかった可能性が高い。
 仮に氏郷がその事を知らず、「江源武鑑」を実とせんがため二尊旗を偽作したとすると、二尊の文言が異なっている事の説明がつかない。「江源武鑑」は既に成立しているのであるから、同書を見ながらそっくりに制作できた筈だからだ。
 仮に氏郷から京極家へ伝来した後、京極家内部で室町時代作へと変更されたとしたら、その事が書かれていない事への説明がつかない。
 逆に二尊旗が天皇家から京極家へ直行し、そのまま秘蔵されていた場合、「江源武鑑」の作者がかくも極似した旗を掲載出来た事の説明がつかない。また「京極氏家臣某覚書抜萃」が言う「錦の御旗」1流は何処へ行ってしまったのか? という問題が生じる。
 
 なお、この二尊旗の制作・所持に関与した可能性のある神社が1つあるので、念のため紹介しておこう。滋賀県大津市北小松914番地に所在する樹下神社である。その内容を田中政三氏が紹介されている。

弘文堂書店刊行
田中政三『近江源氏』
第3巻255頁


 

 現在では氏郷が制作したのか、若しくは他から氏郷の許へ伝来したのか、あるいは万が一に氏郷を介さずに京極家へ伝来したのか、決定打はない。

 家宝七品の続きを見ていこう。次の品は軍配である。この品も京極家に旧蔵されており、現在は香川県立ミュージアムに「正八幡大神佐々貴大神蒔絵軍配」として所蔵されているので、ご覧頂きたい。
 なお、同軍配の大きさについては、同館発行のパンフレット『特別展丸亀京極家 ―名門大名の江戸時代―』に拠った。


(左:「正八幡大神佐々貴大神蒔絵軍配団扇」 右:「江源武鑑」)


 この品についても、氏郷旧蔵品であるとの確たる証拠は無い。しかし、「錦の御旗」が氏郷旧蔵品である可能性が高い以上、同じく同人の旧蔵品であると推定される。
 ところで、「正八幡大神佐々貴大神蒔絵軍配」の出所について、少し述べておこう。まずは「江源武鑑」の記載と、大きさの違いについてまとめてみよう。

 蒔絵軍配江源武鑑
全長48.5㎝
84.84㎝
(柄の上から剣先まで1尺5寸、柄の長さ1尺3寸、合計2尺8寸)
全幅24.1㎝42.17㎝(推定)


 この通り、氏郷が「江源武鑑」を実とするためにこの軍配を偽作したとすると、大きさの説明がつかなくなるのである。
 他方、前述の和歌山大学所蔵「佐々木日記」の元和6年(1620年)7月25日条では、伊賀国の八幡八郎義家なる者から、氏郷の父親とされる屋形へ軍配が伝来した様子が書かれている。該当部分を見てみよう。

(和歌山大学所蔵 「佐々木日記」)

 蒔絵軍配 佐々木日記
全長48.5㎝54.54㎝(1尺8寸)
全幅24.1㎝27.27㎝(9寸)

 上記の通り、「正八幡大神佐々貴大神蒔絵軍配」の大きさは、「佐々木日記」記載の大きさとも異なる。
 この為、現状では氏郷が制作したものか、それとも他から伝来したものかは決めかねる。ただ、氏郷誕生以前に制作された可能性を示唆するものとして、ここに紹介しておく。


  第8節 白小袖制限令と『佐々木氏郷』の住所

  ところで、「京極氏家臣某覚書抜萃」の中で、氏郷が白小袖着用の事について職務質問を受けている。
 この点について、実は徳川綱吉の発した命令により行われたものである可能性が高いことが判明した。その事を発見された、上記磯部佳宗氏の同論文の注釈(注釈番号3)を引用しよう。

 

  また、京都所司代とその与力たちは氏郷の家に赴いて職務質問をしている。これは直前の同年5月に浪人改めがあり、氏郷の住所が知られている事から、居宅へ訪問できたのも当然なのである。
 最終的な京都所司代の態度は、「京極氏家臣某覚書抜萃」によれば、その後は何の沙汰も無かったとしている。永補任の書付を所持していることや、京極高豊からの返事を鑑みて不問としたのだろう。
 この様に氏郷は自分の身分と住所を、京都所司代の記録に追加することが出来ていたのである。氏郷は京都所司代にとって公然・公認の存在だったのである。
 「大系図評判遮中抄」が言うような、逮捕を恐れて潜伏生活をするような必要は、全く無かったのである。