注釈・江源武鑑 第17巻

 

天正2年(1574年)10月13日 夢の神文

屋形義秀の家来が熊野山に代参させたところ、夢で神文を得たとする。その内容は以下の通り。
『江陽廿四郡大守 武運漸絶於子孫 前業前因絶神力 家門従者放十方
雖有子孫又如無 経八十余年成繁 得時国挙武運久 社神移力江湖春』

 この神文を読むと以下の様になる。
『江陽二十四軍の太守(義秀の事)の 武運が絶えてその子孫において 以前の業によって神力が絶たれ 家門の従者が十方に散ってしまい 子孫は有って無いような状態になる。 八十余年を経て 武運を久しく得る事が出来る。 神力により近江に春が来る』
 上記の内『経八十余年成繁』に着目してみたい。天正2年(1574年)に80年を足すと、承応3年(1654年)となる。『江源武鑑』出版の直前となるのである。
 『江源武鑑』は18巻20冊という大部の物であるので、本記事を書いて後にも執筆部分が多く残っていたのであろう。又、版木制作の時間を含めなければならない。
 すると本記事によって、『江源武鑑』の作者が『江源武鑑』をもって六角家再興をしようとしていた事が分かるのである。
 また本記事から、『江源武鑑』は通説通り明暦2年(1656年)に出版したと推定される。もっとも、版が新たになる度にこの数字を書き換えた可能性は、全くのゼロではない。
 

天正5年9月28日 大彗星現れる

 『江源武鑑では』天正5年9月28日に大彗星が現れたとしている。その内容は、
①大彗星である。
②坤(ひつじさる・南西)の方角。
③長さは7~8間。
④10月まで出た。

 NASA(アメリカ航空宇宙局)のサイトによると、可視日数78日という、とてつもない大彗星であったとされている。
https://ssd.jpl.nasa.gov/?great_comets
 さて、この情報がどこからもたらされたか、各種資料と比較してみよう。
~小瀬 甫庵『信長記』の場合~
『九月廿九日戌刻西に当而希有之客星出来候也』
とだけある。これによると、
①時刻は夜8時頃。
②法学は西。
③きわめて珍しい見知らぬ星。
『江源武鑑』では、
①の時刻の情報を使っていない。
②の情報も『南西』に置き換わっている。
③の珍しい星というだけでは、彗星とは分からない。
 また、『信長記』では手に入らない『彗星である事・大きさ・出現時間』
の記載があるため、『信長記』から手に入れたのではないだろう。
 

第17巻 巻末 開版の印と荒木利兵衛

 第17巻の巻末には刊記が記されている。その内容は以下の通り。
『明暦弐年丙申霜月吉日 荒木利兵衛 開板』

 この荒木利兵衛が何者であったのか、現在分かっている情報を整理しておきたい。まず出版物とその出版年月日の刊記について表にしてみた。
  書籍名   出版年
因帰筭哥       2巻寛永17年(1640年)
我自刊我書慶安  2年(1649年)
太平記        40巻慶安  3年(1650年)
かた言        5巻同上
後出阿彌陀佛偈經蠡測承応  2年(1653年)
彙輯薛氏内科醫案   7巻同上
武者物語           3巻明暦  2年(1656年)
鐔津文集           19巻同上
江源武鑑         18巻同上
三将軍解           8巻同上
太上老子道經述註 5卷同上
朱子書節要    20巻同上
醫方大成論明暦  4年(1658年)
新添脩治纂要   8巻万治元年 (同上)
十帖源氏     10巻同上
古老軍物語          6巻万治  4年(1661年)
萬病回春         8卷寛文  2年(1662年)
夢窓國師法語寛文  4年(1664年)
浄土文類聚鈔直解  10巻寛文  8年(1668年)
 
 以上の様に、『荒木利兵衛』は『江源武鑑』刊行の17年以上前から、出版を行っている。また『江源武鑑』刊行と同じ年には他に5冊も発行している。
 ところで、弘文堂出版の『縮刷 江源武鑑』では424ページに渡って印刷されており、1ページに原本の版木2枚分が印刷されている。『江源武鑑』は18巻20冊であるから、20巻として単純に計算すると、1巻当り約40枚の版木が使われている事になる。
 明暦2年に出版された本の巻数は75巻(『江源武鑑』は20巻とする)であるから、単純に考えれば、必要な版木は75×40=3千枚ということになる。1日に8枚以上を彫らねばならず、大規模な設備を備え、多数の彫師が働いていたであろう事が推定される。
 この事から『荒木利兵衛』は老舗かつ大規模な書林、すなわち出版社であったことが分かる。また、これ程の猛スピードで彫っている以上、いちいち内容に関して『荒木利兵衛』が関与し、『江源武鑑』の『偽作』を手伝っていたとは考え難い。依頼された原稿を受け取った途端に、中身が荒唐無稽であろうが通説と異なかろうが彫りまくるしかなかったのではなかろうか?
 通説たる『大系図評判遮中抄』では、『阿党数輩ヲ集メ、寺僧神人等ヲ語ラヒテ(中略)江源武鑑ト名ケテ刊行ス』とあるが、これが事実だとしても、彼らが関与したのは原稿作成及び出版の依頼までであったと推定したい。