第11巻

 

永禄8年(1565年)2月3日 人三種

 三井寺の智門法印が観音寺城に来て、人三種という物を屋形義秀に献上する。そこには武家三種・俗三種・女三種という絵図と説明が書かれていたとする。

 この内『武家三種』の説明文『一切諸難悉令佛除悪魔降伏日夜守護』については、『修験聖典 451ページ』に同じ物が見られる。
 しかし、原典がどこから来たのかについては、現在のところ分かってはいない。
 

永禄8年(1565年)5月19日 足利義輝暗殺

 京都から連絡があり、足利義輝が三好一族のために暗殺されたとする。戦闘内容の内主要な部分は以下の通りである。三好方が塀の上から矢を射かけたので、義輝は代々の宝物を中庭に放り投げる。そして三好の若兵たちが奪い合いを始めたところで、自ら太刀を持って斬り合いをする。しかし多勢に無勢であり最後には自害する。辞世の詩と和歌があり、
抛刀空諸有 又何説鋒鋩 要知転身路 火裏得清涼』という詩と
『三十あまり只かり初の雨やとり晴てそかへるもとの古郷』という和歌である。
 屋形義秀がこの話を聞いたが、義秀は和歌は本物であるが詩の方は真偽が疑わしいと述べたとする。

 いわゆる『永禄の変』である。これによって足利義輝の軍は奮戦空しく敗戦、義輝は死亡する。
 これと同じ話と同じ辞世の詩が、小瀬甫庵『信長記第1巻 光源院殿御最後事』に登場する。他の史料を調べた方が調査結果を載せられているが、同じ話は見当たらないようだ。従って『江源武鑑』の作者は、『信長記』を元に本件記事を書いたと言える。
 だたし、和歌の方は現在似た物は発見できていない。『江源武鑑』の作者が創作したと言えるだろうが、独自史料が全くなかったと断言できる訳でもないだろう。