第1条~第10条

 

第1条 文武両道について 

 文武両道をもっぱらに学ぶべきである。その他には思うべからずという心持ちあり。武に暇があるときは文を学ぶべし。文を知らない者は、血気の勇者になるものである。通り一遍に学ぶときは、必ず学道の病に侵されるものである。ただ一句であっても己が心身に行ってこれを学ぶべし。解らない事があれば、その事をよく知っている人に聞くが良い。少しも粗略にしてはいけない。横着をする事があれば、学ばない状態より劣ることがあるのである。これを学問の要とするものである。
 遥か昔はいざ知らず、今の時代にあっては、文と武が10ならば、武を7、文を3にして行うべきである。武たる者が武を3になし文を7にするときは、大方弓矢はぬるくなるものである。誠にその法正しくして心を精白に、仁義の分かち正しくして、国家に心の理剣をもって二六時中に切り払い、一身を謹む事をもっぱらにして、兵の強弱を正しくして、民に恵みを与えればこれらの民の父母となるであろう。
 人は家業の他まで知る事が大好きなのであるが、生まれ持った家業を疎かにして国を失う国主は古今に多い。自分の行いを怠りなく、あれもこれもと万物に手を伸ばす事なく、治乱共に偏らない家臣を賞し、民を恵み、邪まな家臣を退ける事を国主の要とするところである。よく心得ておきなさい。
 

第2条 宝は自己の心より出るもの

 四民それぞれに天命によってこの世に生まれたのだ。上は天皇から下は民に至るまで、己の職分を大雑把にして自然と天罰に当たるのを知らないのだ。災難は他所からやって来るものではない。自分の中から出てくるのだ。
 他人の財産をむさぼってはならない。自分の心にある万能の宝を取り出すべきである。実に四海に満ちるべき宝である。
 己の宝を求めるのに心得がある。それは、自分の心の宝を取り出さぬ内は、自分は拙き者であるという事である。そのような物が他者の財産を求めたところで、どうして手に入れる事が出来ようか。これをよく知って、身を謹むべきである。
 

第3条 天皇とて天理に反すれば衰える

 治承よりこの方、王家(天皇家)が衰えた事は当然の事である。心の塵を払う事もなく、日常からご遊覧にのみうつつを抜かし、天皇としてのお学びを疎かにされたからである。天下の霊気が顕れた時も、自分の身の上を正されていないとは露にも思わず、神社仏閣に祈祷などを仰せ付けて祈らせてはいらっしゃるが、何の効果があるであろう。その昔に聖君がなされた政治の要とする所を、よく知り給うべきである。
 そんな事であるから、永く天下の権を武家に取られたのである。その武家とても良きにはあらず。当世の武家にて武家たる者1人も無し。この後は一般人の中から天理に叶う者が現れ、自ずと天下の権を取るであろう。当家の面々よ、この事をよく思い合せて国の政治を行いなさい。
 

第4条 華美を避け自己誇示を避けよ。己が職分に誠あり

 今の時代の武の有様を見るに、大いに己の職分を失っている。華美を好んで武具馬具にまでこの様にして、勝利の得失を考えるでもなく、見かけを良くする事を思うばかりである。
 近年には茶会といって、国主あるいは一群一城の武士も茶道に心を入れて、少しの内も家々の隅にまで 自分の思うようにしようとして、水の軽重や古き器の善悪を論じるばかりである。たまには儒学を学ぶ人を見るも、文字言句を論ずるばかりにて、下の者の苦しみを知らない。
 これをもって見れば、今の時代の武士は町人等と異ならない。公家等は武家の権力を恐れて、朝に晩に媚を売る。これを見るに神主・山伏に異ならない。町人たちは高家と同じ場所に座り、同位同官の格好をしている。これを案ずるに、世は大きに乱に近い。民の父母たる者がこの様になっていては、天罰を逃れる事は難しい。
 当家の面々よ、武の要とする所を朝に夕に学びて、天罰を逃れるべし。天の与えた家業をもっぱらに勤めれば、諸事において叶わないという事はないのだ。己が職分をよく勤めれば、これぞ誠なるべし。誠なるときは天は必ずこれに味方をしてくれようぞ。天の見方するに至らないという事はない。日夜にこの要を勤めるべし。
 

第5条 民の心を知る事こそ政治の要

 上は天皇から一国一城の主に至るまで、一般の人々の言動をよく知るべきである。心得が数多ある。
 今の世の国主は風流にのめり込み、いわれもなく気高くて市井の人々の営みを知らない。故に民に恵みを与える事を知らず、故に武門の滅び行くことも知らない。口惜しき事である。延喜の聖主は四海の主として、洛外の早苗の節が立つ事をご覧遊ばされて、時の過ぎる事に心を痛ませられたものだ。
 里の家々が力を出し合い稲が生長し収穫するまで、それを税として取ってしまわぬようになされたことは、かく有難きお心である。後の世にも思い知って行う事である。
 

第6条 武家の教養

 武士たる者は6~7歳から、武家たる上に立つ者の芸を知るべきである。成長するに従って自ずと誠に入るようにするべきである。幼少より行わなければ、真実の武家にはなり難し。古語にも『花中の鶯舌は花ならずして香し 』という言葉がある。良い周囲の環境に身を置くと、自然の内に良き者に成っていくものだ。
 今の世を見るに、上下善悪共に上がる者を褒め、衰えたるは賢成といえども、これを誹る高家は衰え世をいとい、庶民が成り上がる。これも天皇家が衰えてから起こり始めた事で、上下の品を失ってしまった。
 ああ、日本は神国なり。何ぞ古より上下の分かちが有るのに、かようになってしまっては一国といえども栄久する国は有るまい。このままでは上下揃って、己が利欲に身を任せるのみになってしまう。子孫たちよ、誠の心を興し、国の父母となるべし。
 

第7条 人に7つの非義あり

 人には7つの非義がある。元々1つから生じる事である。心に誠があれば、影にその形が生じるが如きにして、行いに悪が生じる事はないのである。少しの善といえども積み重ねれば大いなる善となるのだ。
 逆に少しの悪といえども、積み重ねれば大悪となり、国を亡ぼす事になる事は古今の例の通りである。良く思い知っておきなさい。
 

第8条 忠・孝・烈の大事

 国主たる者、まず3箇条の教えがある。それが忠・孝・烈である。これを有する者あれば、 身分の上下を問わずこれを賞すべきである。その身に応じて禄を与えるべし。この如くなる時は、天下国家の皆々が忠・孝・烈に心を入れて、悪はおのずから消え去るものである。
 大勇は孝子の教えに入って尋ねよ。孝子は大忠・大勇の人であったという。これを知るべし。
 

第9条 兵の頭たる者の心得

 兵の頭たる者は佞・奸・邪・欲の4つをよく正すべし。頭たる者1つでも不義の行いがあれば、その下に付く者は大いに佞・奸・邪・欲の士となるものと心得るべし。誠に選ぶべきは甚だ頭とする者にあり。兵の頭を選ぶのに、旧功・新参の例を引くべからず。
 今の世の多くは、自分の心と合うか合わないかにまかして人を選んでいる。誠に戒める事である。このようにして人を選んでいれば、国の政治は失われるものである。
 

第10条 仏神への祈り

 仏神を祈るについて心得がある。少しも私欲の心を持たず、平等に誠の心を磨いて祈るべきである。神は心に向かうが如し、自己の宝珠を磨けば人と天の内に至らずという事はない。
 神道の事は書き記すに及ばない。己の誠を以ってこれを知るべきである。誠の内にあれば遠からず知ることが出来るのである。