第12章 源内の『元禄元年死亡伝説』の検証

   第1節 通説による源内の『元禄元年死亡伝説』の概略

 通説たる『大系図評判遮中抄』では、源内が『元禄戊辰年』つまり元禄元年(1688年)に病死したとのみ記し、その証拠を紹介していない。

 

  第2節 鳴弦之大事蟇目之深秘

 この書物は漢字が読みにくいが、『めいげんの だいじ ひきめの しんぴ』と読む。原本が東京大学に所蔵されており、国文学研究資料館を通して、インターネット上でも閲覧できる。
 『鳴弦』とは神道の儀式であり、矢を使わず手で弓の弦を引き、音を立てることによって魔除けとする物である。遅くとも平安時代には成立した儀式である。また、後年には鏑矢を用いて音を出すものも現れ、『蟇目(ひきめ)』と呼ばれる。本書もその題名が示す通り、鳴弦の儀式について説明している物である。さっそく見てみよう。

東京大学文学部宗教史学研究室所蔵
「鳴弦之大事蟇目之深秘」
請求記号 3570048006

(東京大学所蔵 『鳴弦之大事蟇目之深秘』)

 いかがだろうか? 死亡した筈の元禄元年以降に氏郷が本書を著作している。また本書は、受け取った歴代の人物も記されている。それによると、本書は最初氏郷が著作し、『吉田助六郎』に引き渡された。松本久史氏の論文『荷田春満門人一覧稿』に、近世国文学研究の大家である荷田春満(京都伏見稲荷の神官)に元禄16年5月5日に入門した、長岡藩士とみられる同名の人物が見られる。この人物が吉田助六郎本人であると考えられる。
 つまり、長岡藩士の吉田助六郎が神道の儀式を学ぶために『佐々木氏郷』の許へ訪ね行き、氏郷がそれに答えて鳴弦の儀式について詳細を伝授したものである。
 成立年については、この書物の中で『元禄六酉年初夏吉日』とある通り、元禄6年(1693年)の成立である。また、真正性については、自称を『佐々貴二十七世管領源朝臣氏郷』としており、氏郷の自称『佐々貴管領氏郷朝臣』の特徴を表している。真正な書物と判断できよう。


 第3節 元禄2年の氏郷直筆署名

 氏郷が元禄2年(1689年)以降も生存していた事を記す、本人直筆による決定的な史料が存在する。それが前述の「沙々貴大系図」の氏郷直筆の署名部分である。実は後述する通り、氏郷は丸亀藩主京極高豊に対し、自身の花押入りの書物「沙沙貴神伝」を渡している。両書を見比べてみよう。



 いかがだろうか? 氏郷と同じ筆跡で同じ名前を名乗った人物、すなわち氏郷本人が元禄2年に署名をしている。氏郷が元禄2年(1689年)以降も生存していた動かぬ証拠である。
 『大系図評判遮中抄』では、『元禄戊辰年ニ至テ七十歳ニテ病死ス』とある。元禄戊辰の年とは、元禄元年(1688年)である。しかし、氏郷は元禄6年(1693年)初夏の時点では、まだ生存していた事が、『鳴弦之大事蟇目之深秘』及び氏郷直筆の署名部分から知る事ができる。
 したがって、『佐々木六角系譜研究室』は『大系図評判遮中抄』が『元禄戊辰年ニ至テ七十歳ニテ病死ス』したとする、『元禄元年死亡伝説』は誤りであると断言したい。