第2章 『人鏡論』と『佐々貴管領氏郷朝臣』の自称

 
 これまでは、通説の立場から『江源武鑑』等が『沢田源内』つまり『佐々木氏郷』の著作だと主張されていたが、それを裏付ける証拠の提出はされていなかった。このため、真の『佐々木氏郷』の著作物については不明なままであった。しかし、実は確実に『佐々木氏郷』の著作物であるという事が分かる書物が出版されていたのである。
 
 貞享4年(1687年)に『人鏡論』という書物が出版された。その後元禄期に『金銀万能丸』・『金持重宝記』と改題されて出版されている。超絶ベストセラーになったようで、森田正太郎(毛利田庄太郎)という出版社(書林)が、井原西鶴に対して似た話を書かせたらしく、その話を収めたと思われる『日本永代蔵』第5巻と第6巻は、第1巻~第4巻との間に断層断絶を生じているとされる。この点については長友千代治氏の『江戸時代の書物と読書』に詳しい。

 この書物『人鏡論(金銀万能丸)』には、佐々木六角氏の系譜の話は出てこない。その代わり、神主・住職・儒者の3聖職者と主人公がお金の話をしながら、京都からお伊勢参りをするという、完全フィクション物語になっている。 そして道中で主人公が、真儒になるのも金次第、住職の生活も金次第、神道の奥義も金次第、病気の治療も武士の出世も良縁結婚も何もかも金次第と言い出し、『何事も何事もみな金のうき世』であると主張し、3聖職者を金銭万能主義に染め上げていくのである。そして金銭が万能であるからこそ人の心を浅ましくさせるとして、お金に対する心構えを説き、神道の誠の道こそ大事であるとする。
 さて、これら『人鏡論』諸本の内、『通俗経済文庫』第1巻所収の、元禄7年版『金銀万能丸』には、本文の最後に『右之一冊者以佐々貴管領氏郷朝臣自筆之本転写之畢』とし、氏郷自筆の本を転写した旨が大きく書かれている。

国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
「人鏡論」
請求記号 京乙-33

(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵 『人鏡論』)

 この事で、今日我々が「佐々木氏郷」と呼んでいる人物の生存時の自称が、「佐々貴管領氏郷朝臣」であったことが分かるのである。


  第2節 「人鏡論」と氏綱流の人々

 さて、「人鏡論」には佐々木六角氏の系譜の話は出てこないのであるが、話の脇役としてちゃっかり氏綱流の人々が出演を果たしているのである。
 はっきり分かるのが義実で、それっぽい人物が義郷である。義秀に関しては織田信長誕生以前に時代設定をしているためか、明確に分かる形では出演をしていない。ではその個所を、同じく国立国会図書館デジタルコレクション所蔵「人鏡論」で見ていこう。なお、原本は草書で読みにくいため、翻刻本に依る事にする。なお、分かりやすいように該当部分に朱線を引かせて頂いた。

国立国会図書館デジタルコレクション所蔵
「人鏡論」
請求記号 210.08‐Si571‐K



  第3節 「人鏡論」の成立は何時なのか?

 先ほど、「貞享4年(1687年)に「人鏡論」という書物が出版された」と述べたが、実はこれは、この年までには出版された、と確認できる再下限の年であり、実際にはもっと早く出版されていた可能性が存在するのである。それが「続群書類従」巻第937所収の「人鏡論」である。同書の巻末には次の刊記がある。


 この記載によって、「人鏡論」の出版が寛永12年(1635年)にまで遡る可能性があるのである。氏郷の生年を仮に元和7年(1621年)とすると、数え年で14歳程で「人鏡論」の自筆本を書いた事になる。
 また、「山本頼母」なる文言と同じ文言の人物が、寛永時代に仙台藩の家臣に居たようである。そして後述するが、第4代仙台藩主伊達綱村が、先祖の調査のために家臣を京都に派遣した際、京都到着直後に「六角中務」つまり氏郷と目される人物の家人「木村佐大夫」と接触ができた。単なる偶然かもしれないが、念のために調査を引き続き行いたい。