第5章 『佐々貴管領氏郷朝臣』の名称と事績

 
 ここまで読まれたらもうお気付きであろうが、驚くべきことに『佐々木氏偽宗弁』・『大系図評判遮中抄』のどちらも、氏郷が50年以上使用した筈の『佐々貴管領氏郷朝臣』という名乗り、及びそれに付帯した事績・史料名が一切登場しない。
 ここでそれら『両書に登場しない事項』を一覧にしてみよう。その異常さを十二分にご理解頂けるはずである。

欠落事項一覧

    史料名

  両書物への登場
『公事根元抄』登場しない
『招提寺内興起後聞記併年寄分由緒実録』登場しない
『夢窓国師俗譜』登場しない
『来迎寺要書』登場しない
『伊達正統世次考』登場しない
『貞享書上』登場しない
『人鏡論(金持重宝記・金銀万能丸)』登場しない
『宸旦扶桑禅刹次第』登場しない
『沙々貴大系図』登場しない
『鳴弦之大事蟇目之深秘』登場しない
『京極氏家臣某覚書抜萃』登場しない
『将軍家御成之日記并佐々貴家古実』登場しない
『多賀高忠書状』登場しない
『沙々貴神伝巻』登場しない
『沙々貴神伝七相之讖書』登場しない
『犬追物絵図』登場しない
『佐々貴家犬追物本紀』登場しない
『佐々貴家犬追物古実巻』登場しない
『佐々貴家犬追物検見矢評議巻』登場しない
『二尊旗』登場しない
『正八幡大神佐々貴大神蒔絵軍配団扇』登場しない
『鞭』登場しない
『佐々貴少将義郷宛徳川家康書状』登場しない
『徳川家康の頭巾』登場しない
『徳川家康の腰の物』登場しない
『沙々貴神社との交流』登場しない
 
 いかがであろうか?
 現在分かっているだけでも、これ程大量の史料及びそこで語られている事績が、『佐々木氏偽宗弁』及び『大系図評判遮中抄』の双方で登場しないのである。たまたま両書の作者が見つけられなかっただけにしては、数が多すぎる。
 特に『大系図評判遮中抄』では、氏郷の名称が、『喜太郎』→『尊覚』→『源内』→『義綱』→『兵部氏郷』→『中務氏郷』と、様々に変化したと主張する。
 しかし、それなら短期間の間だけ使用した筈の『尊覚』等を知る事が出来て、50年以上使用した筈の『佐々貴管領氏郷朝臣』を知る事ができなかったというのは、理解し難い。しかも、『名称』、『史料名』、『事績』の全てが欠落しているのである。『人鏡論』に至っては、2回も改題されて出版される等、超絶ベストセラー本であったにもかかわらず、である。
 特に、伊達綱村の使者落合時成と、氏郷の家人木村佐太夫が出会った事を見逃していることは決定的である。幕府内部を通じて、『伊達正統世次考』等から情報を仕入れられたはずだからだ。その上『貞享書上』所収の、京都所司代の報告書まで見落としている。
 この事を合理的に説明できる方法はただ1つしかない。『大系図評判遮中抄』の作者である『建部賢明』自身には情報収集能力が無く、『大系図評判遮中抄』を執筆するにあたって、『佐々木氏偽宗弁』を『コピー&ペースト』いわゆるコピペをしたのである。以上の考察を経て、『佐々木六角系譜研究室』は次の様に断定する。
 『大系図評判遮中抄』は、単なるコピペ本である。それ故ネタ本である『佐々木氏偽宗弁』に間違いがあると、『大系図評判遮中抄』にもそのまま引き継がれる。諸家大系図や新版大系図の例がその証左である。
 また、ネタ本に記述がないのに『大系図評判遮中抄』にある場合、建部賢明の情報収集能力の無さから、筆のついでに書き加えた『尾ひれ』であると考えられる。