第8章 『馬淵系図』は偽系図か?

   第1節 『馬淵系図』と『馬淵丹後守実冬』

  ところで、通説及びその根拠たる『大系図評判遮中抄』では、氏郷は他者からの依頼により偽系図を乱造した、偽系図作者だとされている。従って『馬淵系図』についても、甚だ不十分ながら若干の考察を行っていきたい。
 まず特徴として挙げられるのが、系図の先端(先祖)が貴種に繋がっている点が挙げられる。本系図は貴種の中でも最高の天皇家たる宇多天皇に繋がっている。
 次に挙げられるのが、系図が佐々木六角氏→馬淵氏→端氏と繋がっている点である。『馬淵系図』では宇多天皇の子孫である佐々木六角定綱の『五男』である『馬淵五郎左衛門尉廣長』が見え、ここで佐々木六角氏から分岐を起こしている。
 この点は寛永20年(1643年)成立の『寛永諸家系図伝』でも確認できる。『寛永諸家系図伝』所収の佐々木六角氏系図では定綱の『四男』である『馬淵五郎左衛門廣定』が見える。なお、廣定の子孫については書かれていない。
 『五男』と『四男』及び『廣長』と『廣定』の違いはあるけれども、『佐々木六角定綱の子息から馬淵氏へ分岐した』という点に変わりはない。従ってこの系譜伝承は氏郷の活動以前からあったものと思われ、特に問題はない。
 大きな問題となるのは次の馬淵氏→端氏の分岐である。ここで『江源武鑑』に見える『馬淵丹後守実冬』が登場しているのである。次節では『馬淵系図』、後述する氏郷が直筆で書写した『沙々貴大系図』、そして通説が氏郷作であると主張する『江源武鑑』の3つを見比べていこう。


  第2節 『馬淵系図』と『沙々貴大系図』と『江源武鑑』

 最初に『沙々貴大系図』の該当部分の画像を、所蔵先の京都歴史学・歴彩館より画像掲載の許可を頂いたので見てみよう。

(京都歴史学・歴彩館所蔵 『沙々貴大系図』)

 

  それでは、早速3つの著作物の記述を表にして見てみよう。但し、『馬渕』と表記してある場合もあるので、原表記に従い表記している。

 こうして見ると、「馬淵系図」は一見「沙々貴大系図」よりも「江源武鑑」の記述に近い。沙沙貴神社にあった系図を氏郷が書写したという「沙々貴大系図」は随分と異なっている様に見える。また、「沙々貴大系図」では管見の限り馬渕氏から端氏が輩出された様子は見えない。
 ところで、「馬淵系図」と「江源武鑑」では、馬淵氏元祖の「馬渕廣定(廣長)」と「馬渕丹後守実冬」の間の代数を述べていない
 また、「沙々貴大系図」では廣定の子孫として次のように記す。すなわち、廣定→公綱→宗源→義宗と続くとし、その直下に子孫が存在した事を示す朱線が下方に伸びている。
 そこで公綱→宗源→義宗の3名について記録を見てみよう。最初の公綱については確認がとれた。「近江蒲生郡志」第2巻818頁に本人直筆書状が載っていたのでさっそく見てみよう。

滋賀県蒲生郡刊行
『近江蒲生郡志」』
第2巻 818頁
請求記号 398-64

(近江蒲生郡志所収 「馬淵公綱副状」)

 このように公綱については直筆書状も残っているので、問題なかろうと思われる。次の宗源についても、存在については問題なさそうである。この点については「東浅井郡志」第1巻508頁が本人直筆書状を原本確認している。該当ページの画像については追って掲載したい。
 なお、「近江蒲生郡志」では同人を「定源」とする。 では、最後の義宗について見ていこう。実は義宗についてはその直筆書状等を現在確認できていない。ただ、その弟達については「近江蒲生郡志」が確認している。また同書第2巻820頁で、「馬淵範は公綱の子三位房定源の二子にして」とし兄が居た事を記す。また、同書が作成した、第2巻818頁「馬渕系図」でも「義定」として、義宗に相当する人物を載せている。

(「近江蒲生郡志」所収 「馬渕系図」)

 以上により、義宗についても問題がないと思われる。ところで、氏郷が作成した「馬淵系図」では

「宇多天皇十代佐々木定綱五男馬淵五郎左衛門尉廣長嫡流馬淵丹後守実冬」

 としており、実冬が馬渕氏の嫡流であるとする。すると、上記「馬淵義宗」の直下に引かれている朱線が馬淵氏の後継者を指すものと思われる。氏郷の「馬淵系図」はここへ繋いだのであろう。なお、現状においてはこの馬淵氏から枝分かれした「馬渕丹後守実冬」またはそのモデルになった人物については、推定できる人物も発見できていない。


 第3節 依頼人について

 さて、「馬渕系図」作成の依頼人である「端氏」なる一族であるが、同系図では「端伊豆守易重」なる人物が見え、「始仕近衛信尋公後以小鼓仕出羽守直政公二百石」とあり、近衛信尋に仕えた後小鼓をもって出羽守直政に200石で仕えたとしている。
 この人物に相当すると思われる史料が存在するので見ていこう。1つ目は増田孝氏が掲載された写真付きの論文である。

(「日本美術工芸」545号)

 

 2つ目は、当研究室にSNSで連絡を下さっていた方が、久保山 和彦氏からご教示された情報を、当研究室にご教示下さったものである。ここに改めて御礼を申し上げたい。

島根大学デジタルアーカイブ所蔵
「直政公御代御給帳」
上巻
資料番号 1427802


 以上の様に直筆原本による一次史料が発見されており、その存在及び身分については「馬淵系図」の伝える通りではなかろうかと思われる。
 また、「馬淵系図」作成時点での最終子孫については「近衛殿諸大夫に子孫あり端氏タナヘ氏と云ふ」とある。この「近衛殿諸大夫」については、残念ながら検証作業にすら入れていないのが現状である。