第7章 禁裏御倉預職の立入直頼と氏郷

 
 第1節 尊敬閣文庫所蔵「三略秘 全」奥書と立入直頼

  ところで、尊敬閣文庫に「三略秘 全」という本がある。この本について、阿部隆一氏が詳しく述べられている。長文であるが引用させて頂いた。なお、読み易くするために、適時改行などを加えさせて頂いた。

慶応義塾大学附属研究所斯道文庫編
『斯道文庫論集』 第8巻 56頁
阿部 隆一 「三略源流考附三略校勘記・擬定黄石公記佚文集」



第2節 立入直頼と佐々木氏郷直筆「沙々貴大系図」

以上を要約すると、室町時代に本書の本体部が作成され、それを江戸時代前期に何者かが入手して奥書を加えた。その内容を立入直頼が「直頼朝臣筆家系略記観音縁起」に書いた、という事になる。
 実はこの奥書を付け加えたのが、氏郷の父親とされる佐々木義郷なる人物であるか、若しくは氏郷本人であるかのどちらかである事が推定できる史料が存在するのである。それが元禄2年(1689年)に佐々木氏郷が直筆し、その後継者が書き継いだ、前述の「沙々貴大系図」である。同書の最終頁の程近くに該当の記述がある。なお、同書冒頭付近のページに氏郷本人の署名押印があるので、併せてご覧頂きたい。

 

(京都歴彩館所蔵「沙々貴大系図」)


 いかがだろうか? 立入直頼は寛文5年(1665年)に没している。そして同人が「船橋枝賢卿記」すなわち同書の奥書について言及しているという事は、

①同奥書が寛文5年までに成立し、
②且つ直頼の目に留まり、
③且つその情報が氏郷(又は後継者)に伝来した

 事を意味する。また「三略秘抄」は『国書総目録』を見る限り、寛永年間に版本になったようであるが、奥書付きのは写本の物しかないようである。したがって、現状では

③奥書を加えた人物から直頼に伝承され、更に氏郷に伝承された
④氏郷が寛文5年までに奥書を加え、直頼に伝承した

 のどちらかだと考えるのが妥当ではかなろうか。尤も、偶然に同書が流出し、偶然に氏郷の後継者が入手し、これまた偶然に「沙々貴大系図」に書き加えたと考える事も出来よう。しかしこれはご都合主義に過ぎ、余りにも可能性が低かろう。
 以上のように考えると、上記③又は④のいずれの場合にも、立入直頼と氏郷の間には、直頼が没する寛文5年(1665年)までに何らかの関与があった、と考えるのが妥当だろう。