第11条~第20条

 

第11条 仏神・天皇・国主の本分 

 仏神は誠をもって本分とし、天皇は世を平和にするをもって本分とし、国主は政治を正しくするをもって本文とする。これらの事は『四書五経』等に詳しく書かれているので、武の合間にこれを見るべし。
 構えて書に書かれている事に固執するなかれ。誠に『聖なる教えは文字言句に無し』と言うは、心によって伝授されるものである。秘してこれを見るべし。
 

第12条 評議心得8箇条

 国の政治を行う時には、1人で決定してはいけない。必ず臣下達に評議を請うべし。例え国主の知恵が臣下達の10倍あろうとも、なお評議を請うべし。心得が数多ある。
 第1に、評議を請う時は、臣下の智の浅深を知る事ができる。 
 第2に、評議をして見聞を得ていくと、己の智の限界を知る事ができるのだ。
 第3に、評議は悪を去り善を集めるものであるので得が多い。
 第4に、他国と争う時に頭たる者から下の者に至るまで一致団結して乱れる事がない。
 第5に、臣下達が互いに疑心暗鬼になる事がない。
 第6に、国主に邪まな行いが無いことを伝え聞いて、庶民までもがその行動を正す。
 第7に、以上の如くであれば、万事において邪まな行いが無くなる。
 第8に、近習の者が片言で訴える如き事がない。
 以上8つの法の上に在れば、細かい行いをとやかく言うには及ばない。
 

第13条 戦の手段に秘密あれども評議は開く

 評議心得8箇条の内、他国と争う時に戦の手だてによって秘密にする事があっても、評議を行う人々を評議に欠かしてはいけない。己が手足となって働く臣下を疑う様な事になっては、合戦に勝つ事は無い。これは平時でも同じ事である。常に世が乱れる事を忘れず、武具などを嗜むべし。
 拙い政法が多い時は民は苦しむものである。 古の人も小魚を煮るの例えを使って述べている。心得るべし。
 

第14条 思案天地に通ず

 思案は乾坤すなわち天地に通じるものであり、深く考えずに行動を起こしてはいけない。これは自己を映す鏡が暗いからである。
 自己を映す鏡を磨くには長い時間が掛かるものである。万の書物を読んだとしても、心の鏡を磨く外はないのである。常に心をいたずらにする時には明鏡は濁るものだという事を知るべし。
 

第15条 寸善と雖も直ちに賞せよ

 寸善であっても、善事は時を過ぎてこれを賞する事があってはならない。悪は時を経て現れる事がありうる。
 自らの行いを改める事によって得る事がある。自らの怒りを鎮める事によって、本来失う筈であったものを失わずに済むことがある。諸人が慈悲の心を感じて得る事は大いにある。
 なお心得がある。悪を行うには10の内2、3にして行うべし。諸人が自らの非を知って善に移るものである。 
 

第16条 国主の人格臣下に通ず

 己が邪欲にして無知短才ならば、どうして臣下達が正しくあろうか。己が武の法に1つとして怠りなく、文と武に徹して過剰な贅沢を退ければ、知る所の国知る所の天下において一般庶民に至るまで、招かなくとも仁義の勇士の溢れるようになるのだ。心得ておきなさい。